2012年3月11日日曜日

管理人の日記

〇「今」を伝えるブログ
 東日本大震災から今年で丸3年を迎えます。この「ダンボール一箱」支援は、自治体やマスコミなどは通さずに直接、被災者に宅配便を届けることを呼びかけてきたものです。すでに、支援の呼びかけはしていませんが、活動記録としてブログを残しています。常連さんの支援はその後も続いています。被災地の世話人さんからも連絡がきます。被災地の「今」を伝えるブログのひとつとして活用してください。(平成26年1月)

気軽な立ち寄り場所
年が明けて東日本大震災から1年10カ月を迎えます。この「ダンボール一箱」支援は、自治体やマスコミなどは通さずに直接、被災者に宅急便を届けることでスタートしました。はっきり数は分かりませんが、実数で1000人の人が支援に参加されたものと思われます。震災一年を区切りに、支援の呼びかけはしていませんが、支援そのものは常連さんによって細々と続いています。また、時たま、現地世話人さん(被災者)から要望があって、支援を呼びかけることもあります。今後とも支援関係の情報集積所、気軽な立ち寄り場所として利用していただければと思います。(平成25年元旦)


新しい生活に立ち向かう被災者
東日本大震災から1年7カ月です。「ダンボール一箱支援」は、ほそぼそと続いています。情報が少ないなかで、なお継続して支援していただいている方がおられるほか、直接、支援物資を運ばれるケースもあるようです。現地世話人さんはそれぞれ新しい生活に立ち向かっておられますが、様々な困難にも直面しているようです。ニュースがあればアップします。たまには本サイトをチェックしてください。また、支援されたい方は遠慮なくお問い合わせください。
(10月11日)


細々とまだ続いている。
みなさんこんにちは、もうすぐ7月です。被災地は二度目の夏を迎えようとしています。昨年の今頃は、歌津でかご漁が始まるとか、仮設への移転が徐々に進むとか、いらいらしながら支援活動に全力を挙げておりました。あれから一年を経て復興の兆しが見え始めたところもありますが、一部の方を除いて人々に定職はなく、集団移転の見通しも立たず、不安な毎日を送っているのは何も変わっていません。土木事業などの復興需要での景気回復が伝えられますが、被災者の生活という角度でみると何も変わっていない。むしろここにきて希望を失う被災者も多いようです。
そうしたなかでこの「ダンボール一箱の支援活動」は、リピーターさんによって細々と続いてきました。また4月には被災地との交流の一環に歌津のワカメの販売も行ってもらいました。
震災からこんなに時間が経過していながら信じられないことですが、「復旧復興は遠い」のが実情です。
支援をされたい方は遠慮なくメールでお問い合わせください。
(6月21日)

あれから一年
支援者の皆さん、世話人さん、お変わりありませんか。
「3・11」がめぐってまいりました。一年前支援の申し出が殺到して、パソコンに向かっていた日々が思い出されます。
被災地はこのところ鎮魂と追悼の日々のようです。お寺さんが間にあわないため、毎日、繰り上げで法要が行われているそうです。埼玉の方の提案で急遽、そのための 礼服が送られました。あれから一年、支援は今も続いています。皆さんのお陰です。特に世話人さんには頭が下がります。
世話人さんにメッセージ「私たちは負けない」をお願いしました。それを読めば「復旧 復興未だし」ですが、それでも少しずつは進み、物資支援も、「『なければ生きていけない』から『あれば助かる』」に変化しています。支援は、我々日本人が「被災地を忘れない」ことの証です。心の励ましです。今後とも支援で得た縁を大切に様々な形で被災地との「交流」を続けていきたいと念願しています。
(3月6日)

○「ダンボール一箱」の支援活動に参加していただきありがとうございます。
ささやかでも何かをしなくてはと昨年4月に切羽詰まった思いで始めた支援活動でしたが、こんなに 支援が続くとは思ってもみませんでした。皆さんのお陰です。早いもので、来月で東日本震災1周年を迎えます。被災地は集団移転も決まらず、津波被害土地の利用プランもなく、一見何も変化がありませんが、復興庁も誕生し、今後は復旧復興も少しは加速していくものと思います。 支援はいまも継続しています。これから先の支援をどうするかについては、支援者の皆さんや世話人さんのご意見をうかがいながら決めていきたいと考えています。 また、以前から「現地の世話人さんとの交流集会を開いてほしい」「海産物を購入したい」等々の声をいただいています。 ご意見がございましたらご一報ください。
(2月14日)

○新年、あけましておめでとうございます。新しい年が被災地東北と日本にとって素晴らしい年になりますようにお祈りしたいと思います。政府の震災対策は3次に渡る補正予算で巨額の資金が投入されているはずですが、現地を見る限り地域での生活が復活している証拠はありません。「復旧復興は遠い」としか言いようがないのです。
復旧復興が遅れることでこれ以上住民の流出に拍車がかかるようなことがあってはなりません。そういう事態とならないように青年、学生にはもっと東北に行ってもらいたい。事業者にももっと進出してもらいたい。政府にも国民にも「東北こそ日本再建のフロンティア」だという認識が必要です。
この支援活動は、個人が出来る被災地への〝励まし〟です。日本人が被災地を忘れていないことの証です。新年もささやかでも支援を続けたいと思います。
(1月1日)

○【師走です】
支援者の皆さん、被災者の皆さん、この一年、支援プロジェクトにおつきあいいただきまして本当にありがとうございました。被災地を4月の上旬に訪れて、避難所にささやかな支援でも出来ないかと考えて呼びかけたこのプロジェクトですが、「3・11」から9カ月を経てなお続いています。支援先も、たった一カ所の避難所からスタートしたのものが、南三陸町のかなり広い範囲、さらに南三陸のお隣、気仙沼市の本吉町へと広がりました。
支援に応じていただいた皆様方と、被災者で支援物資を配布していただいている「世話人」の皆さんには感謝の言葉がありません。
「3・11」は、私たち同時代を生きる日本人にとってまさに国家的な危機でした。しかし、この非常事態での日本人の振る舞いは、世界中で称賛された通り誇るべきものだったと思います。
「私がどうしても滅びてほしくない一つの民族がある。それは日本人だ」という言葉で知られるフランスの外交官、ポール・クローデルは、関東大震災での日本人を見て、その控え目な態度、不平を言わない
慎ましさを驚きの言葉で綴っていますが、私が、被災地をみたり、支援のお手伝いをさせていただいたりして感じたのも被災者、支援者双方の思いやり、助け合いといった精神の高貴さです。
この高貴さこそ、日本が世界に誇る日本精神であると信じます。
寒さはこれからが本番です。
皆さんお元気で年末年始を過ごされますようにお祈りします。
(12月5日)

○【11月を迎えて・・】
あっという間に11月です。
前月から警告していた宮城県の「寒さ対策」はようやく始まりました。
暖房器具は何が必要か仮設入居者にこれからアンケートをとるようです。役所のやることはなぜこんなに遅いのかと思います。 先日、東京・駒沢で行われた、泊浜漁協の女性部によるホタテキャンドルの販売会に顔を出した際、泊浜の女性数人と立ち話をして改めて被災地の大変さを痛感しました。責任者の女性部長のMさんは、津波で魚貝類の加工業だったご主人がなくなり、家も流されましたが、少しでも自主自立をと女性たちに呼び掛けて始めたのが津波を免れたホタテの貝殻を使って、ホタテキャンドルでした。
Mさんの最大の悩みは工場を再開したいが、費用の工面がつかないということでした。中小企業再建に費用の三分の二まで払ってくれる仕組みがあるのですが、申し込んだが予算がなくて選に漏れたということです。
また、別の女性は、船が流されたが、家は残ったということで義援金はなく、船の保険はおりたが、将来を考えればとても使えない。これは私も前々から思っていましたが、家があると言うだけの理由で「義援金ゼロ」はまったくおかしな話です。
また、政府の三分の一補助という制度はあるが、自分で全額立て替えて、その上で、三分の一を補助してもらうという仕組みで、その建て替えが出来ないとおっしゃっていました。船をつくるには5トンで3000万円かかるそうです。
その結果、漁師さんで海に出れるのは養殖業も含めて現状では「半分以下」。というわけで漁に出られない方の収入の柱はがれきの処理でしたが、もともとがれきの処理は、一世帯に一人とか制限がありましたが、今は予算がなくなったらしく、事業そのものが10月でストップ
しているようです。 また、女性たちが一様におっしゃってたのが、家がある人は固定資産税など普通に払っているというのです。もともと固定資産税は支払い能力に関係なく課税されるものですが、これおかしくないですか。
政治家の目はふし穴なのでしょうか。開会中の臨時国会で第3次補正予算(震災関連は9兆円)が成立すれば、中小企業主の再建支援、被災地宅地の買い上げ、住宅の集団移転などで大幅な進展があるものと思われます。
しかし、集団移転のプラン作りなど白紙の部分も多く、予算が目的通り執行されるにはまだまだ時間がかかりそうです。
というわけで引き続き出来る範囲での支援をお願いします!
(11月2日)

10月に入りました。
先日、国会で小泉進次郎議員(自民)が仮設住宅の「寒さ対策」を質問していました。
平野復興担当相が「断熱材、暖房器具なども含めて自治体でやっている」と答弁していましたが、入谷の世話人さんにメールで聞くと、「聞いてません」との返事。2日ほどして読売新聞に真相が報じられました。 <遅れる寒さ対策、宮城県はゼロ>。それによると、断熱材の追加工事で、岩手、福島が28・6%、7・3%に対して宮城はゼロだというのです。いったい何をやっているのか、震災発生以来、政府のやっていることは一事が万事このありさまで、被災者のことを本当に考えているのかと思います。気仙沼の世話人さんによると、被災地はこのところ急に冷え込んでいてもう炬燵を使っているそうです。
これからは「食料」とともに「寒さ対策」に的を絞った支援が必要なようです。嬉しいニュースもたくさんあります。歌津、戸倉の世話人さんら漁師さんはサケ漁に出漁しました。
7月から行われたカゴ漁に次いでの大漁を祈っています。
また、入谷の世話人さんは、念願の美容室の営業をトレーラーハウスを改造して始めました。間もなく震災7カ月。引き続き被災地を見守っていただければと思います。
(10月1日)

9月に入りました。
まもなく震災から半年を迎えます。
南三陸町、気仙沼では避難所の被災者は一部を除いてほとんどが仮設住宅か借り上げ住宅に移りました。
それと同時に食糧などの支援は打ち切られました。
いよいよ「自立」に向けて、地域全体の取り組みが始まったことになります。しかし、復旧・復興が遅れているなかでどこまで自立が可能なのか。不安だらけというのが被災地の現実です。特に高齢者にとっては、仕事がないのはもちろん、車がある人は別にして「買い物すら満足にできない」、「話し相手もいない」のが現実です。
 実際に現地からの支援レポートを読んでも、見た目、がれきの処理こそ進んできたようですが、津波で流された部分は草が生えているだけで何もありません。 そこをどう利用するのかという復旧・復興のグランドデザインすらありません。
はっきり言って「復旧・復興など遠い」と言わざるを得ません。
 こうしたなか、支援の需要は仮設住宅への大量入居と公的支援の打ち切りもあって一時的に増しています。まだまだ支援が必要なことは、世話人さんが送ってくれる写真や支援物資を受け取った被災者の礼状に明らかです。いつまで支援が必要なのかは分かりませんが、東北の再生なくして日本の再生はありません。「ダンボール一箱」の支援を喜んで受け取っていただける方がある限り、支援の申し出がある限り細々とでも続けて行きたいと考えています。どうぞよろしくお願いします。
(9月5日)

8月に入りました。  
 現地の様子を探るために8月3日、南三陸と気仙沼の世話人さん(被災者の方です) 宅を訪問しました。世話人さんは様々な問題を抱えているはずなのに、皆さん元気いっぱいで胸が熱くなりました。
繰り返し支援の御礼を言われました。
ある世話人さん家族とは、支援者の方の話に花が咲きました。私が支援者について、「どこそこの」というと、「○○さんですね」と記憶されていて大いに盛り上がりました。 また、別の世話人さんはがれきのなかから奇跡的に見つかった家族の写真とともに、物資の受け取り状を保存していただいていました。
支援者が、親類に送るように大事に送られた支援物資は、こうして大事に世話人さんに受け取っていただいていることが確認出来ました。
支援者の皆さんにも、世話人さんにも感謝の気持ちでいっぱいです。
さて、5カ月経った現地ですが、「お盆までに全員仮設に」という公約のためかちこちで仮設住宅の突貫工事が進められていました。
 しかし、いま建設中の仮設は見るからに安普請のものもあって、被災者は入る前から不公平感を感じているようでした。また仮設への入居は、「食糧支援の打ち切り」が条件です。
 問題は、被災地は漁を再開出来た漁師さんらごく一部の方を除いて定職がないことです。
津波に洗われた海岸沿いの土地の使用方法も決まっていません。
 こうした状況ではわずかばかりの義援金はもらっても、将来の不安ばかりが先だってしまうのも無理はありません。
 仮設住宅は辺鄙なところにあって、車がないと食糧の調達すらままなりません。 特に高齢者は、厳しい状況にあります。
 また、仮設はこれまで住んでいた地域とは無関係に割り振られました。
支援打ち切りと孤独から 年寄のなかから死者が出るのではないかと心配する声もありました。
 政府の復旧、復興プランが一日も早く大きく動き始めなくてはなりません。
 しかし、私たちもわずかでも支援を継続していきたいと思います!
漁師さんには、我々も水揚げを産直で買えないかと話してみましたが、現状では仲買いさん との関係もあり無理なようです。
 
(8月3日)

〇早いもので7月に入りました。
「3・11」の衝撃が遠いことのようにも思えます。
菅直人首相は「最初の一週間は眠れなかった」(6月27日記者会見)と語りました。しかし、被災地では今なお、多くの方が避難所でぐっすり眠れない日々を過ごしています。
他方、仮設住宅に移られた方は、「自立」を迫られていますが、定職はほとんどなく、がれき処理など、わずかなアルバイトと義援金の分配金で食いつなぐ再スタートを余儀なくされています。
 生活の見通しが立たないという意味では自宅避難者も事情は変わりません。こうしたことが高齢者などにより過酷な環境であることは言うまでもありません。間もなく震災から4カ月を迎えますが、被災者にとって厳しい現実は何も変わっていないのです。
テレビや新聞には「復旧・復興」の文字が飛び交っていますが、被災地にとっては「この夏をどう乗り切るか」が大きな課題なのです。
こうしたなかで行われた漁業の再開は大きな希望です。漁師さんの笑顔の素晴らしさがすべてを物語っています。
東北を支えることは日本を支えることです。私たちは、これまで南三陸町と、南三陸町と深いつながりのある本吉町で物資支援を行ってきましたが、今後も可能な範囲で支援を続けていきたい
と思います。
(7月1日)

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